じもともともに

ゆっくりゆっくり自分の道を開いていく櫛づくり

 松本市の中心から少し離れると、北アルプスの山並みと田んぼの風景が広がります。住宅がぽつぽつとあるなかに、「櫛挽所」という表札がついた小さな小屋があります。そこが今回の逸見英隆さん(以下、逸見さん)の工房です。工房の中には、機械と作業スペース、様々な道具たち、刃物、電気系統、材料がコンパクトに納まり、使いやすく工夫されていることが感じられました。取材の日は、季節が秋に変わる頃でしたので、稲穂が少し黄色く色づき、窓から見えるそうした風景を眺めながら、ゆっくりと丁寧に伝えてくれる一言一言をしっかりと受け取るように、お話を伺いました。

【トピックス】
🔳目指しているもの
🔳お六櫛をつくる人になるきっかけ
🔳お六櫛を選んだ理由
🔳興味がちらばっちゃう人なんで・・・
🔳手挽きはやりたいからです。エゴです。



 目指しているもの

  取材の数週間前から、お六櫛を使う機会をいただき、その感想を伝えるところから始まりました。それを伝えると、逸見さんがどんな櫛を作りたいのか、さっそく聞くことができました。
 「肌にあたったときに優しく、さくっと入るような“くし歯”になるように心がけて作るようにしています。」
 逸見さんが教えてもらった本来の作り方では、くし歯は“とがり”。でも、お客さんとのやり取りなど、いろいろと経験をしてきた中から、「両方兼ねるような櫛づくり」を目指すようになります。
 「髪の毛に関してだけのことを言ったら、櫛通りだけを追い求めればいいけど、毎日使うものなので、肌に合わないと使われなくなっちゃうと思うんです。そんなに安いものじゃないですし、長く使っていただきたいんで、なるべく。」
 人によって感じ方、髪質も違うため、正解があるものでもない、理想の櫛づくり。そのバランスを探し続けています。
 「基本通りにやって、そのあと、ひと手間、ふた手間加えている感じ。一人ひとりに合うもの作れたらいいんですけど、なかなかそうはいかないので、平均値をずっととっていく感じですね。」



 お六櫛をつくる人になるきっかけ

 社会人になり、最初に勤めた場所をやめたとき、自然に関わりたい、という想いに。逸見さんのおじいさまは、大工をしており、大工道具が近くにありました。ほかに、樹木医など候補はあったものの、“木のものづくり”の方向へ興味が湧きます。そして、木曽にある「長野県上松技術専門校(技専)」へ。
 「地場産業のものありますよ、ということで、お六櫛を体験しにいって、すごいですよね。手挽きだと、このスペースでできちゃうので、その小スペースでものづくりができる感覚が魅力的でしたね。道具づくりが楽しかったし。」と、お六櫛との出会いの場面を教えてもらいました。
 逸見さんと話をしていると、今も、“櫛をつくるためだけの道具たち”に愛着を持ってらっしゃるのがひしひしと伝わってきます。

【お六櫛とは】
 江戸時代前期に、持病の頭痛に悩んでいた村娘お六が、治癒を祈って木曽の御嶽山に願掛けをしたところ、ミネバリで櫛を作り髪をとかすようお告げを受けて治ったという伝説が起源で、300年の伝統があります。材料のミネバリが近くに多くあった長野県木祖村では、明治から昭和初期に多いときには、年間180万枚を出荷。現在は、主に木祖村藪原地区で生産されています。ミネバリは、硬くて粘りがあり、狂いも出ないことから、お六櫛のような細かい歯の櫛の材としては最適。歯挽き鋸を用いた手挽きの技法により造られています。(機械挽きの技法もある。)



 お六櫛を選んだ理由

 現在も、主な産地である木祖村ですが、職人の数はわずかです。
 「一番盛んだったころは、木祖村の人口の7割が櫛づくりに携わっていたころがあると聞いてますけど…」と逸見さん。シャンプーや洋櫛が入ってくる前の時代には、和櫛に需要がありました。和櫛は、消耗品で、ある程度使って折れたら買い替えていました。
 「たぶん、和櫛文化がなくなった時代があって、一度使われなくなったところからのスタートなので、現在こういう感じなのは時代背景的には仕方ないのかな、とは思いますね。」と淡々と語る逸見さん。でも、それを理解しながら、お六櫛の世界に入ったのは何故なのだろう。その理由が気になりました。
 「“木のものづくりで食べていきたい”と思って、道具づくり楽しい、櫛づくり楽しい、でやってきて…技専を卒業するときに、5~6年ふらふら木のことをやって、身に付いたらそれでやってみよう、という考えがあって…」
 技専を卒業後、木曽の木工所に勤めながら、櫛づくりだけでなく、スプーンや皿なども作り、「へんみくらふと」という名前で活動し、休日にイベント出店をしていた時期がありました。
 櫛で独立する前は、両方できたらいいな、とか思いながらやっていたんですけど、先生からはじめに言われてて…“2兎追うものは1兎も得ず”って。いやー、やってみなきゃわからないよ、とか思いながらやってたんですけど、これはしんどいな、というのがあって。しんどいな、というのはものづくりにさける時間を考えると、一つに絞ったほうが身に付くな、と思って。その中で櫛が一番あってた。」と、今に至るそうです。
 「正解があるようでないようなところがあるんで、終わりない感じが楽しいかもしれないですね。わかっちゃった、となったら完全に作業になってしまうのが向かないんでしょうね。」



 興味がちらばっちゃう人なんで…

 工房のなかを見渡したとき、目についたものが2つ。1つは、バスケットボールの試合らしきポスター。もう一つは、ドラム風の丸いものに寄せ書きが。それぞれ質問してみました。1つは、「マイケルジョーダンの2度目の引退前の最後の試合で、逆転シュートを決めたところ」とのこと。最近、ネット動画でジョーダンの番組をみて、ポスターのことを思い出し、飾ってみたのだそう。
 もう一つも質問してみると、中学2年からドラムをはじめ、軽音楽部で、いくつもバンドを組んでいたのだとか。
 「今もストレス発散で一人でやってます。それはずっと続いていますね。興味がちらばっちゃう人なんで、すぐ飽きちゃう人なんですけど。」
 “すぐ飽きちゃう人”。お六櫛づくりに10年以上携わっている人から、その言葉が出てくることをとても意外に感じました。


 手挽きはやりたいからです。エゴです。

 「手挽きの割合を増やしていきたいと思って動いていて…」と話す逸見さん。
 お六櫛の作り方には、手挽きと機械挽きの方法があります。
 手挽きの特徴は、山を残すところです。そうすることで、髪についたほこりをこそげとってくれる機能が残ります。山の表面が髪に接することで、スクレーバーのようになるのです。機械挽きは、早くできてきれいに揃います。


 「機械挽きは、あっという間にできてめちゃくちゃ楽ですけど、櫛をやりたいと思ったのが手挽きだったから…性にあっている。手挽きのほうが。手仕事に憧れて木の世界に入ったので、譲れない。やりたい。めんどうでも。手挽きでやるのはエゴです。やりたいからです。あとづけの理由、かっこつけた理由を言うとすれば、“木の成長に沿ったスピードでつくれる”ということですかね。機械だとぼんぼん作れちゃうんで、1本のミネバリの木を1~2年で使い切っちゃうくらい。手挽きなら、その半分の量になるんで、自然に優しいのは手挽きかな。木の成長のこと考えたら。」というのも、材料のミネバリは、材木屋さんに頼んでおいて、年1回くらい出てくるほどの少なさなのだそうです。


 手挽きを増やし過ぎても、現状の価格とのバランスが難しいところ。しかし、逸見さんのゆっくりと丁寧な言葉たちを聞いていると、なんとかしていくことができる人なのだろう、と思えてきます。「自分の信じた方向でやっていくしかないですけど…どかん、とは変えられない。性格上。ゆっくりゆっくりですね。」
 また、仲間づくりがうまくできていることも、心強いところなのだろうと感じました。
 「櫛業界から離れたところで、理解者がいてくれる。一緒に動いてたりしているので、なんとかやっている感じかな、と思います。もともとは籠りたい体質ですけど、出て行ってよかったなって。松本近辺に仲間がいる。」話を聞いていて、逸見さんのこれからに期待感、安心感を持ちました。
  最後に、手挽きの作業を少し実演。小さな手挽きのスペースには、板の固定の方法、何かに使う細い板、刃がついた道具の数々、作業ごとにかわるそれらと、安定した逸見さんの仕草とひざの上の刺し子布。



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【書いた人】
太田清美 2020年4月、名古屋から長野県上伊那郡箕輪町へ移住。
自然の近くで、季節を感じながら、山々を眺めたり、野菜づくりをしたり、 自分の暮らしのカタチを追いかけている。
風景、営み、人、文化、など一つ一つを味わい、 体感したことをいろんな人たちと共有していくことが嬉しい人。      


ご紹介商品

伝統工芸品目 【お六櫛】 京丸 細歯 手挽き

7,700円(税込)

伝統工芸品目 【お六櫛】 ブラッシング櫛 極荒歯

7,140円(税込)