じもともともに

“なんとなく”からはじまった伊那紬を継ぐ人

 駒ケ根駅の東の住宅街のなかに、ふと現れる老舗の雰囲気を感じさせる工場。中に入ると、長年使ってきた道具が目に飛び込んできて、ここだけときの流れが止まったような気持ちになりました。染色に使うための樹皮や幹材が置かれ、糸巻きの機械がずらりと並ぶ。次の部屋へ行くと、染められた色とりどりの糸がかけられていて、その横では、絡まりそうな本数の糸がきれいに並べられている。2階には、足踏み式高機(たかばた)が並び、ガシャン、トントントン、シュ、という音が響く。自然光が多い室内の陰影が、伝統の深さをより感じさせてくれるのでした。
 伊那紬は、1970年代には、120軒ほどの生産工房があったのだそう。現在は、久保田職染工業さんが唯一の伊那紬の織元です。この日は特別に、糸巻きの機械を動かしてくれました。昔は、こんな糸巻きの音や機織りの音が町の中に響いていたのでしょうか。少しタイムスリップした気持ちで、音を聞いていました。

【トピックス】
①伊那紬の歴史
②「あとを継いだ理由は、たいした理由がないんです」
③久保田さんはこんな人
④伊那紬への想い、これから


 伊那紬の歴史

 長野県のほぼ中央、諏訪湖から流れる天竜川沿いの地域を伊那谷といいます。この地域は、養蚕業が盛んで織物にも長い歴史があります。
 また、中央アルプスや南アルプスを望む自然豊かな土地であり、そこにある樹木や植物を天然の染料とする草木染めの技術と文化が生まれました。
 江戸時代になると、養蚕業が盛んになり、農民が副業として繭玉や絹織物を生産しはじめます。良質な繭は、京都や名古屋などに出荷していましたが、蚕が繭を破って穴が開いてしまったものなどは不良品となります。それを使い、女性たちが家族のために、手織りばたで一本一本丹念に織り、着物をつくりました。それが伊那紬のはじまりであると言われています。現在まで、代々受け継いできた織物です。



 「あとを継いだ理由は、たいした理由がないんです」

 今回、お話を伺ったのは、専務の久保田貴之さん。久保田さんは、伊那紬を代々引き継ぐ4代目。だからと言って、子どものころから、伊那紬に想いをもってきたのかというと、そうではありませんでした。
 「継いだ理由は、どこかに載せるほどのことはないですよ。毎回聞かれると困るんですよね。たいした理由がないんです。なんにもおもしろいことないんです。」というのです。というのも、久保田さんは、大学で地元を離れ、“なんとなく”働いて過ごしていたそうです。その頃に、「社長に呼ばれて、“なんとなく”戻ってきただけで…深く考えないタイプなんですね。流れに身をまかせる、というか…」
 逆に、それくらいの気持ちでいないと、この伝統ある看板を継ぐのは難しいのかもしれません。ただ、子ども時代の工場での楽しい思い出の影響が心の奥底にあるのではないか、というエピソードも聞けました。
 「小学校の低学年くらいまでは、工場に遊びに来ていました。従業員の人もよくしてくれましたし。近所の友達が、干してあった糸にいたずらしておやじに怒られる、というエピソードを最近聞いたんですよ。」
 子どもたちのにぎやかな声がする工場の様子が想像できます。“工場=よいイメージ”が久保田さんのなかにあり、スムーズに流れにのって、伊那紬の世界へ入っていくことができたのではないでしょうか。



 久保田さんはこんな人

 伊那紬の特徴は、①草木染め ②経糸を自社でつくる ③糸づくりから染め、機織りまでの一貫生産。

 ① 糸づくりから染め、機織りまで
 糸づくりは製糸工場から納められる綛(かせ)の状態の糸をボビンに巻く「糸繰り」、目的の太さにするために2本の糸を一緒に巻き取る作業を数回行う「合糸」、それに撚りをかける「撚糸(ねんし)」という工程を行う。「合糸」作業では、生糸や玉糸、真綿の手紡ぎ糸など、何を合わせるか、どんな撚りをかけるかで、光沢や風合いが違ってくる。その後は、糸を「蒸し」、綛(かせ)の状態に戻す「揚返し」をし、石鹸と熱で不要な物質を落とす「精錬」をする。そのあとは、「水洗い」をして「脱水」、「糸叩き」という工程を済ませば、糸の出来上がり。この作業で糸につやが出て空気が入り、しなやかになる。

 ② 草木染め
 自然豊かな土地で育った山桜、くるみ、りんご、カラマツ、槐(えんじゅ)、ダケカンバ、栗、どんぐり、一位、夜叉玉(やしゃだま・榛の木の実)などが原料。乾燥したものを煮出して染料を作り、糸を染める。布地に絵を描くように染める後染めと違い、様々な色の糸を折り合わせることで、職人が自由にデザインすることができる。草木染めで染めた糸はどんな色同士でもなじむのが特徴。

 ③ 経糸(たていと)を自社でつくる
 機織りで織るためには、経糸の準備が必要。反物の柄になるように経糸を並べることを整経という。経糸の本数や長さ、テンションをそろえ、様々な色糸をドラムに巻き取ります。(この日作業をされていたのは、1700本の経糸)熟練の技と何度も繰り返す根気がいる作業。

 このうち、久保田さんは、糸づくりと染めを担当されています。「事務や営業の仕事だけをやっていてもいいけど、ものを作っていたいと思って…」と言います。久保田さんからは、「今は楽しい」という言葉が素直に出てきました。実際、反物や帯を見せてくれたときに、「これは、山桜で、高級な落ち着いた色。よく売れるんです。横糸を変えると色合いが変わりますね。
 推しは、矢車玉(やしゃだま)。木の実なんです。きれいなグレーなので、なんにでも合う。帯も合わせやすいです。」「色を指定されることも多くて、その色を探すんです。その色が出ないときは疲れてしまう。化学染料は化学染料で好き。いろんな色がでるんですよね。いい色が出たときは嬉しい。」と、草木染めの説明が湧き出るように出てきて、止まりませんでした。それまでの口調と雰囲気も変わり、本当に染めの作業が楽しいのだろうな、と感じました。

 一方で、「販売会が本当に大変!」とのこと。なぜかというと、機織りを分解して持っていき、組み立てるのが大変で、毎回汗だくなのだそうです。そして、機織りを実演。「話は嫌いじゃないけど、そんなにおしゃべりではないので…すでに、4件の仕事が入っているけど、プレッシャーです。考えないようにしよう、と思っています。出張先で、おいしいもの食いにいくか、と思ってできるだけやり過ごす。」と、本当にプレッシャーのようで、困った様子の久保田さんをみて笑ましく眺めていたのでした。



 伊那紬への想い、これから

 久保田職染工業さんでは、手織り教室を開いています。長い人だと1年くらいかけて、自分の反物を仕上げます。想いの詰まった反物になることでしょう。また、駒ケ根シルクミュージアムでは、伊那紬着付け体験(土日祝限定)ができます。
 「広く知ってもらいたい。若い人は、レンタルでもいいし、化学繊維でもいいので、着物に触れてもらいたいですね。興味を持ってもらえたら、ゆくゆくは、伊那紬を着てみたい、と思うときがくるかもしれない。」と、着物に興味を持ってもらうことが大切だ、と久保田さんは言います。
  “なんとなく”、久保田職染工業さんに入り、伊那紬の仕事をはじめた久保田さんですが、続けていけばいくほど、「改めて深く考えることをしていますね」と、伊那紬に限らず、着物業界全体に関係してくる未来を考えています。
  「着物業界そのものが変わってけたらいいなと思いますね。新しい方向に変わっていけたらいいのかな。ただ、どういう風に変わっていけたらいいかは、今は思いつかないんですけどね。」と話します。現在は、新しい視点や展開を考えたいという想いから、美術大学のインターン学生さんや周りの人の力を借りて、アイデアを集めているところなのだそう。
 というものの、基本は伊那紬の着物。久保田さんとして純粋に、着てもらうことが嬉しいようで、「伊那紬を着ている姿をみると嬉しい。いい着物だな、と思う。暖かくて柔らかくて動きやすい。おしゃれとして楽しんでもらえたら一番かな。自由に楽しんでもらえたら。」と話します。最後に、これからの想いを質問しました。
 「反物づくりを大切に。まじめに、うそつかないでやる。そうやって先代たちはやってきた。」久保田さんの人柄が染み出たような言葉でした。今できることにコツコツと真剣に取り組み、向き合うことで、過去から続いてきたものであり、そして、未来に繋がっていくのだろう、と思うのでした。

 

≪会社HP≫

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【書いた人】
太田清美 2020年4月、名古屋から長野県上伊那郡箕輪町へ移住。
自然の近くで、季節を感じながら、山々を眺めたり、野菜づくりをしたり、 自分の暮らしのカタチを追いかけている。
風景、営み、人、文化、など一つ一つを味わい、 体感したことをいろんな人たちと共有していくことが嬉しい人。      


ご紹介した商品

伝統的工芸品(国指定) 【信州紬(伊那紬)】 反物(着尺)

400,000円(税込)

伝統的工芸品(国指定) 【信州紬(伊那紬)】 反物(帯)

200,000円(税込)