じもともともに

職人さんの焼き物への熱い思いと、70歳から始めたピアノの新たな目標




 【矢筈窯 青山鉄郎さん】



 陶芸を始めたきっかけを教えて下さい。

 中学卒業の際、「何になろう」と目標はなかったんです。土岐市無形文化財になられた加藤仁(かとうしのぶ)氏が独立をされるタイミングで弟子を探されていたんです。父を早くに亡くし母子家庭で育ち進学は難しいと思っていました。その時に学校の担任の先生が募集していることを教えてくれたのをきっかけに、15歳の時に加藤仁先生のところへ弟子入りすることになったんです。
 元々木工など作ることは好きだったけど焼き物のことは全然知らなかったんです。昼間は先生のお手伝いをして17:30に仕事が終わると夜学の高校に通う生活を4年間続けたんです。



師匠はどんな方だったんですか?

 師匠は本当に温厚な方で、なんも知らん僕に何回失敗しても気長に教えてくださった。4年間焼き物をやっているうちに、焼き物の面白さを知って高校卒業と同時に“よし、この陶芸を本腰入れてやろう”と決めて加藤先生の元で本格的に陶芸の勉強を始めました。
 内弟子で先生のところに住み込みで働き、先生もそうだし、先生の家族、先生のおじいちゃんおばあちゃんにも本当にお世話になった。最初は弟子は僕1人だったけど後から弟弟子が3人くらい入ってきました。人数が多くなると陶房のところに部屋を作ってもらって、ご飯の時は先生のところに行ってました。



 師匠について印象に残っていることはありますか?

 先生のロクロを回すところをずっと見て育ったもんで。先生は独特なスタイルでロクロをする人でした。頭を振りながらロクロを回されるのが何とも印象に残っています。僕もロクロの仕事が中心ですが、先生の「ロクロはな、味のある線を出さないかん」とか「個性のある線を出さないかん」という言葉と共に、先生のロクロを回す姿はもう亡くなれて幾年が経ちますが今でも思い出します。優しい方でしたね、怒鳴られたこともなかった。
 そして師匠のところで12年いて土岐市で独立しました。工房を持つために人家の少ない場所を探していたところ、生まれ育った蛭川村(現:中津川市)に良いご縁があり今の矢筈窯を開窯したんです。



 焼き物作りでこだわりや思いはありますか?

 土岐でやっていた時は美濃焼ということで桃山陶の志野や織部、黄瀬戸そういう伝統釉があったけど、ここ蛭川は焼き物の伝統がある訳じゃないので“自分独自のものをやりたい”と思って自分の創作釉で焼き物をやっています。粉引きをやるにしても従来のというよりは、僕流の粉引きとか。自分で釉薬を調合して、焼き方とかその辺にこだわっています。やっぱり焼き物は“土と釉と焼き”が三拍子揃わないと良いもんが焼けんもんね。いくら形が良くても色(釉)が悪けりゃいかんし。
 釉薬の濃度が違うだけでも色が違ってくるし、僕は二重掛けとか三重掛けとかするもんで。下釉と上釉の濃度の違いでも全然色が変わってくる。二重掛けや三重掛けは一重掛けに比べて面白い変化をします。例えば油絵なんかも色が深くなってくる。ましてや焼き物は焼くので変化もする。その変化が“美しくなければいけない”と思っています。人が安らぐような色、青でも水の色や空の色のような、ほっとするような色が好きやね、僕。



 師匠が日展で作品を出品されていて、弟子入りして2年目の時に日展に連れて行ってもらって、そこに出品されている作品を見てすごく感動して“こんな華やかな世界があるんやな”と思って自分も“いつか日展に出してやろう”と思って、30歳の時に日展に出品してから77歳になる現在まで一年も欠かすことなく出品していて、今ではライフワークになっている。
 日展では売り物としてでなく、見てもらう作品を作っています。日展に出すのは大きな作品を作るので体力がいる。一年に一回新しいものを出品するので一年なんてすぐ来てしまうよ。使ってもらうものと、見てもらうもの、共通するところはやっぱり“美しいもの”でないといけない。生活に潤いを与えられるような、ほっとするようなもの。そして使い勝手の良いものを作っていきたい。



 趣味はありますか?

 恥ずかしい話だけど…小さい時に父を早くに亡くしているので、芸術に触れる機会がなかったから絵画や洋楽に憧れがあった。そして55歳から70歳くらいまで油絵をやったんです。あまり上手にならなかった。
 70歳からピアノをやり出して、まだ全然弾けないんだけど、楽しいもんで。今はボケ防止のために週に1回習いに行ってます。夜時間のある時は練習もしてます。ショパンの別れの曲やノクターンが好きやもんで、人前で弾けるようなもんじゃないけど。いつか多治見駅の駅ピアノで弾きたいと思っています。なんか目標を持ってやると楽しいなと思って。
 先生に叱られながらやってますよ。ははは。80歳近くなって叱られることないもんで、物作りの良い刺激になってますよ。やったことないことをやるのは楽しいことですね。




 今後の目標など教えてください。

 今以上に何かできないかと常に思っています。まだこんなもんで終わりたくない、できるかわからないけど…気持ちだけはある。落ち込むことはあるけど嫌になることはないね。出来上がって満足なんてしたことないよ。出来上がると欠点がわかる“ここの色がもうちょっと濃く出ると良かった”“次は形をこうやって作ろうか”って窯から出た段階で次の物の発想が出てくる。それの繰り返しかな。自分が納得したものなんて一回もない。ははは。
 頭の中ではいい物が出来ているから、早く窯から出したくているけど、いざ窯から出すと毎回”あ~”となるんだよ。でも作ることの楽しさが根底の意欲になる。飽きのこない仕事だと思うよ。60何年やっていて“面白い”と思える仕事ってそう無いと思うから、ありがたい仕事に就かせてもらったと思っています。それも師匠のお陰やと思うよ。





【書いた人】
まなみさん
「22年3月に東京から箕輪町に、夫・6歳と2歳の息子たちと移住。
初挑戦の畑ではきゅうりやピーマン、ナスなど大量収穫を達成。次はハーブ類も育ててみたい。
味噌、梅干し、醤油麹、塩麹など自分で作るのが好き。次は麹と醤油を自分で作れる様になるのが目標。山登りにも挑戦したいと思案中。」
     


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